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サウンドデザイナー洪 泰和による所謂ブログでございます

四十而不或

2018-01-14 22:11

遅れましたが2018年明けましておめでとう御座います。
年明けから甲府城、駿府城、掛川城、浜松城、岡崎城、名古屋城、彦根城を陥落させ既に疲れ果てている一月中旬で御座います。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

四十而不或

昨年のイベント「竜奏戦」でも触れました通り、甚だ遺憾では御座いますが、今年「不惑」を迎える事と相成りました。

「不惑」とは孔子が述べたと云われる言葉で、

子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳從、七十而從心所欲不踰

先生がいわれた、
「わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命をわきまえ、
六十になって人のことばがすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
「論語|金谷治 訳注」より引用

からの抜粋ですが、「不惑」は実は「不或」であったとする説があるそうです。
孔子の生きた紀元前500年前後にはまだ「惑」と云う字はなかったと云うのが理由みたいですが、これに対して否定的な意見も多く信憑性がどれくらいあるのか判りません。

「或」と云うのは「域」や「國」など、境界を表す言葉の様で、「不或」とした場合は「区切らず」と解釈する事が出来るそうです。

ここからは私のざっくりな印象ですが、四十にして迷わずと云いながら、七十になって道を外れないようになったと云う、一見同じような事を云ってる様にも聞こえまして。
これを「不或」とした場合、三十で独立した立場を持ち、四十で更に枠を取り去るブレイクスルーの様なものを指しているとすれば、五十以降の流れも何となく腑に落ちる様な。

まぁ、専門家ではないので飽くまで自己願望としてですが、そっちの方がこの先が面白いかなと。

三十代で独立した立場を持ちと云うのはよく解ります。
ただ、そこから次が迷わずってのは個人的にちとつまらないかなとも思いまして。
どちらかと云えば、そこまで培ったものを活かして新たな領域に踏み出す方が受け入れ易いかなと。

なので都合良く「不或」とさせて頂きました。

二十代から三十代を経て自分の中で積み上げたものは幾つかありますが、これから先継続して何を積み上げるべきかは色々迷いがあります。(そう云う意味で全く「不惑」ではないのですが)
一旦リセットして、新たに今後自分が何を積み上げて行くのかを改めて考える必要があるのかなと。

人生折り返しの後半を迎え、惰性で生きない様、この一年掛けてじっくり取捨選択を行なっていきたいと思う2018年初頭で御座いました。

  • 2018-01-14
  • カテゴリー: 書初